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「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」。 私が子供の時に、母親からよく聞かされた諺です。しっかりと実が詰まっている稲穂ほど、その重みで穂先が垂れる事と、立派な人物ほど低姿勢で、謙虚である事を照らし合わせた諺です。 私は、現在40代前半なのですが、この諺の意味が言葉だけでなく、気持ちの芯の部分で理解できるようになってきました。もちろん、まだギラギラしたところもあり、悟りの境地なんてほど遠いのですが、「あ〜大事な事だな」と感じる機会が増えてきたように思えます。 職業柄、人と話をする機会が多いのですが、若い時は、とにかく自分の想いを伝える事に全神経を集中していたように思います。もちろん相手の話も聞きますが、それは自分の想いを伝えるために聞いているだけだったのかもしれません。 今、人と話をする時に一番心がけているのは「相手が素直な気持ちを自分に伝えてくれるように」という気持ちを持つ事です。コーチングがブームですが、傾聴の重要性が説かれます。そして「傾聴」は「敬聴」であると学びました。本当に、その通りだと思います。 「謙虚」を国語辞典で調べると「控えめで、つつましやかなさま」と書いてあります。確かにそうかもしれません。しかし、何となく物足りなさを感じてしまうのは私だけでしょうか?そこには消極的なイメージしか湧いてこないからです。 今、必要なのは「沈黙は金」に代表される、消極的な謙虚さではないような気がします。沈黙が美徳になるような時代は終わっています。 私が謙虚さに必要と思う概念は、自分を押しつけず、相手の立場を理解し、相手の気持ちを思う、その様な姿勢だと理解しています。殺伐とした今の世の中に、一番欠けているのが、この謙虚さだと感じます。 農作物や家畜そして田んぼの土に触れる時。また農家と、のんびり話している時に、優しい気持ちになっていく自分を感じます。そして、謙虚さというものが大切であることを体の芯から感じるのです。 |
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